じぶんと出逢うたのしみ

自分のことって本当はよく知らない。どんなことで何を感じてますか?

約束を守る

忘れちゃってて。。。

 

自分との約束

小さなことからでも

守ることを

また

始めてます

 

そのままでいいんだよ

って

そりゃそうだけど

 

それじゃ

なんかなんかなんか

嫌なのだから

 

こんな自分なら

素敵だなと思う自分に

なりたいよね

 

自分との約束を守る自分

多分

イヤ絶対に

 

そんな自分の方が好きだと思うからね

 

 

 

 

元々あるものは感覚が知っている

鳥が好きです

鳥を見かけると

な〜んかワクワクしちゃう

ワクワクというのか

ほぇ〜というのか

好きなんですね

要するに

 

コレ

誰かから教わったわけでもなく

正しいからでもなく

得するわけでもなく

偉くもならない

けど

物心ついた時にはもうそうだった

 

なんか好きとか

美味しいなとか

綺麗だなとか

心地いいとか

 

損得関係なく

善悪もなく

正誤でもなく

 

感情が湧いて来る

 

それが元々の自分の幸せ

 

何かに対する対応も

自分の感覚感情が

心地よくて

潔いとか

そういうのを選びたくなるんじゃないでしょうか

 

元々あるものでない感覚は

あとから人工的というか

常識や押し付けられたりとか

知らぬ間にそうだと思わされていたりする

 

嫉妬とか

妬みとか

いじけたり

自分を卑下したり

罪悪感とか

 

そういうのを感じたくないと

あれこれやってもまた出て来たりしますが

 

それらが後付けの

いつかどこかで

自分の感情だと思ってしまったもので

元々あるわけじゃないとなると

ある意味洗脳された故の感情ってことになります

 

それなら

あ。。。

これ洗脳感情ねって

元々あったわけじゃない

って思い出せたら

どうでもよくなります

 

そんな感情を感じさせたかった

何者かがいたんでしょうね

 

洗脳感情をいじくると

ドツボにハマって行くので

元々あるわけじゃないってことを

思い出してくださいね

 

赤ちゃんの時

そんなもの無かったのですから

 

 

甘やかすというキーワード

人それぞれかも知れませんが

みんなとても自分に厳しいよね

 

こうじゃダメ

こんなことしてちゃダメ

これが出来ないのはダメ

もっと違う自分に!!

 

その判断基準は 

どこから来たんでしょうか?

 

そんなふうに

教えられて来ただけじゃないでしょうか?

 

そういう基準とか

信じちゃっている信念とか

後付けだよなと気づくと

判断してることが

どうでも良くなる

 

なりたいのか

そうでなきゃ幸せじゃないから

なのか?

 

その

こうなれば幸せっていう幸せは

誰のための幸せですか?

 

世間に向けて見せる幸せ?

誰かと同じでいたい幸せ?

 

あなたの幸せは

あなたの感覚が知っている

 

だからそんなに厳しくしないで

甘やかそう〜って

言ってみる

 

甘やかすっていう言葉が

そのまんまに戻るキーワード

 

コレわたし用かも知れないから

自分でも探してみてね

 

自分を解放するキーワード

 

 

 

 

 

責めてないですか?

責めてるというか

あれやこれや

いちいち頭が喋ってます?

 

甘やかしてください

 

あ、平気なんだった

この言い訳みたいな

頭の声

あってもなくても

大丈夫なんだった

 

と思い出してください

 

甘やかすって

もう何にも考えないで

そのまんまで

今そこにそのままで

そして

何にも責めたりしないよって

今の

そこにいる自分で

丸っといてってこと。

 

そのまんまで"良い"

っていう

良いか悪いかを

ずーっとやっていたと

気づくだけ

 

どうなりたいんだっけ?

 

うーんと

 

明日、気持ち良く過ごすために

お風呂入って寝よ〜

 

気持ち良くなりたい

お風呂に入ってふぇ〜って

 

そんな近い

目の前のことで

どうなりたいかの練習する

 

お風呂で目を閉じて

ニッコリ笑顔を

自分の全身に送ってみる

 

良かったら

やってみてください

 

 

言い訳しないというより甘やかす

甘やかしております

 

やれないことや

やることに

いちいちのジャッジが

頭の中で

始まったら

 

もう

甘やかそ!

 

何をするにも

これでいいのか

こういう言い方でいいのか

これをちゃんとやるには

なんてのが

頭の中で騒ぎます

 

もういいんだもーん

甘やかすんだ

 

あの言い方でも

これでも

もうやっちまったら

甘やかしてしまおう

 

こうして書いている最中も

こんな書き方で

おかしいんじゃないか?

伝わらないんじゃないか?

間違えてるんじゃないか?

って言ってきます

 

甘やかすと

子供の頃のような気持ちに

なったりする

あ、それは私の感覚ですが

 

人間の病気って

ジャッジなんじゃないか?

と思うぐらい

ジャッジで溢れてる

 

甘やかしてみよう〜っと

 

良かったら

いちいち  

甘やかしてみてください

 

 

 

言い訳

不幸でいたい

というのを

瞑想してみたら

(今更かい!)

 

なんと

恨み

だったようで

 

当てつけ

とでもいうのか

 

誰かに

何かしてもらえなかった

誰かに

何かされた

 

だから

あんたのせいで

不幸なのよ

という当てつけ

 

当てつけを

ずっと生きて来たのか〜

 

とはいえ

 

それはそれで

良くも悪くもなく

それが自分の大半を

占めてしまっていただけで

 

誰かや何かに

してもらったとか

誰かや何かのおかげで

快を味わえた

というのも

ちゃんとあるわけで

 

恨みを無くそうというわけではなく

やっぱり

じゃあ 快を感じたことを

集めてみる方が

早いんだよね

 

恨みを消すことに

エネルギーを注ぎたくなるのは

やりがちで

やりたくなる

 

だって不快は嫌だもんね

 

恨みで不幸になっているメリットは

一体なんだろう?

 

ぼーっとして

ゴロゴロしてたいけど

それをすんなりやるのは

大体が親が文句言って来たりするから

とりあえず

不幸だからこんな状態を

やってるんだよって

言い訳したかったのね

子供の頃の話かな?

 

言い訳なんてしないで

ゴロゴロしたいなら素直に

しちゃう

 

誰に対しての言い訳なのかというと

今となっては

自分への言い訳

そして

前にちょっと書いた

身びいき

 

私は本当は

そんな怠けものじゃないのに

あんなことがあったから

今こんなだから

 

身びいきですわー

(私の場合ね)

 

やっちまっまことを

言い訳してもしなくて

どっちでもいいから

 

遠くの望みより

やりたいなーを

やってみる

 

それは

片付けてサッパリしたいから

掃除しよう〜

ぐらいでいい

 

動けるようになるだけで

充分

 

 

身びいき

とある記事を読んでいて

身びいきというのが

響いたのですが

 

自分を守ることも

怒りも

愚痴も

恐れも

 

身びいきということなのかもしれない

 

身びいきをやめてみる 

 

すると

昔、師が言っていた

 

天は容赦しないよ

と言う言葉が

じわじわと見えて来た

 

それは

幸も不幸も

快も不快も

あるんだということ

 

誰にも

同じように

効き

同じように 

効かない

 

やれば変わるし

やらなければ変わらない

 

贔屓なんて無しに

どんな存在にも

及ぶんだ