木々に話しかけてみる
しばらくはすっかり忘れていた。
朝の散歩の時に木々に話しかけてみること。
答えはわからないけれど、
おはよう。今どんな感じ?
と、話しかけてみる。
答えは当然、人間のように言葉を発しないので感じるしかない。
いかに自分が待てないものかとわかる。
すぐに答えがわかりたい。
感じとることが錆びついている。
木々でなくてもいい。
目の前のコーヒーのカップでもいい。
おはよう。。。
そうだった。。。
ずっと彼らはそんな風に意識してくれる日を待っていたのだ。
ずっと私の側で、優しく語りかけていてくれたのだ。私ががそのカップを選んで手にとった日のことをちゃんと覚えているようだ。
ようやく気づいてくれましたね。。。と。
あなたに選んでもらったことが嬉しくてたまらない。。。と。
それは特別な誰かにということではない。
ただただ、自分を選んでくれた人を真っ直ぐに愛している。
こんな話の内容は、実はどうでもいいのだけれど、
いつも明日のことが気になって、
誰かとのことが気になって、不安や焦りの中でわからなくなる時、
目の前のなにかに話しかけてみると、
全く違う世界が味わえたりする。
どれほど自分が、気が散っていて、
慌ただしく、粗雑に生活しているのかが、ようやく見える。
見えるというのは、そこから出ないとできない。
あぁ、また発作のように粗雑さの中で、戦いをしていたんだなと一歩引いてみることができる。
いつもは見過ごしている、部屋の床の隅の方まで雑巾掛け(もう死語かな?)するのもいい。
自分の心の隅までちゃんと触れてあげたような気持ちになる。
そして、どこかで知っているのだ。
これが実は豊かさの元になる感覚なのだってことを。(個人差あると思うけど)
繋がっていたことを思い出す。
植物はよく話をしてくれる。
たまには話かけてみて。